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代表者の思い〜音楽療法との出会いから今日まで

「アルツハイマーの祖父と私」

私は広島県の田舎町で産まれ祖父母と共に生活してきました。大好きだった祖父が突然アルツハイマー型認知症の症状を見せ始めたとき、私はまだ小学生でした。

 

ゆっくりと、しかし確実に祖父は記憶を失い、自分がわからなくり、最後には家族をも認識できなくなりました。私は8年間認知症の祖父と共に暮らしました。混乱、徘徊、せん妄、鬱、様々な様子を間近で見てきましたが、音楽ほど祖父をイキイキとさせたものはありませんでした。

 

最後には寝たきりになり、言語を失い、笑顔も表情の変化もなくなった祖父でも大好きだった音楽を流すとたちまち笑顔になり手を動かしながら歌い出したのです。祖父は最後の最後まで美空ひばりの音楽を家族と共に楽しむことができました。

 

この思い出は鮮明に脳裏に焼き付いています。祖父の嬉しそうな笑顔を見ると介護に疲れきった家族も幸せな気持ちになっていたものです。

 

「アメリカで音楽療法に出会う!」

それから15年後、ニューヨークに留学していた私は音楽療法の現場を見学するチャンスに恵まれました。障がい児の音楽療法グループでは即興演奏に合わせて子供達がイキイキと声を出し、身体を動かし、音楽療法士と共に音楽でコミュニケーションをとっていました。私にとっては人生2度目の音楽の力を目の当たりにした経験でした。すぐに「これだ!」と思いました。

 

卒業後の進路は音楽療法士の道を歩みたいと決め、大学院受験に必要となる心理学を学びなおし音楽療法士養成コースと臨床心理学コースのある大学院に進みました。大学院在学中は、精神科領域、重複障害児領域、卒業後はニューヨークの特別支援療育・教育の分野で音楽療法士として働きました。

 

「日本の厳しい現実」

帰国後は地元の広島県にて音楽療法をより多くの方に知っていただくための講演やワークショップを通した啓蒙活動、医療・福祉施設への音楽療法サービスの提供、大学での講義を中心に活動を開始。2010年より大学にて4年間音楽療法士養成を担当。大学講師として強く感じたことは、「現場が変わらないと専門の仕事は作れない」ということです。

 

音楽療法士になりたいと夢見て入学する学生達が卒業する際、就職先に困るのです。広島県の医療・福祉の現場で常勤の音楽療法士が専門職として勤務していることはまだ珍しく、優秀な学生達も専門職としては就職できない状況が続きました。

 

「やはり現場第一主義の私」

私自身も、自分にもう一度問いかける時期がきていたと思います。それは「私は何のために音楽療法士になったのか?」です。その答えは、療法士として支援が必要な方々のために音楽療法を提供すること。

 

大学教員だった私の臨床の時間は削られていましたし、研究室にいるよりも、医療・福祉の現場に戻りたいという気持ちは日に日に強くなりました。音楽療法士がその力を十分発揮するにはまず現場が変わらなければと思い、思いきって大学を退職し精神病院での音楽療法臨床にキャリアをシフトしました。その精神病院では多くを学ばせていただきました。

 

2015年に音楽療法サービス事業 MUSIC POWER for ALL.を設立。音楽療法を求める全ての方に、本当に求められる、質の良い音楽療法サービスを提供するための起点になるための第一歩です。

 

「これからのこと、そしてミッション」

私達MUSIC POWER for ALL.のミッションは音楽療法を受ける方のメリットを1番に考えた事業を展開することです。そのためには「No」と言うことも大切だと考えています。

施設スタッフの皆様ととことん話し合い、協力し合い、その場限りではなく、持続可能であり、ご満足いただける音楽療法を目指します。

 

音楽療法にできること、できないことを明確にお伝えすることも大切です。現場で働かれている他職種の皆様に音楽療法を正しく知っていただくための、職員研修や保護者の皆さんへのご説明、地域の集まり等での講演も積極的に行っています。

 

医療・福祉の現場に音楽療法士がいることが当たり前の世の中になるために、少しずつですが進んでいきたいと思います。

 

MUSIC POWER for ALL. 代表 狩谷美穂